「答え」は探さない。
- hatamura1222
- 5 日前
- 読了時間: 3分
そう言えば
筋トレを完全に辞めてから2年半が過ぎた。
辞めた当時は
禁断症状的なモノがあって
喪失感や、どんどん自分が弱くなるような
錯覚に襲われてた。
確かに見た目も細くなるし
体重も2年で8キロほど落ちた。
そんなこんなで2年半が過ぎた今。
辞めた結果は?と言うと
「快適」と即答出来る。
外部からの刺激を与えるトレーニングを辞め
自分を見つめ
自分を知ると言う内容に変えてから
「自分の身体やのに、知らない事が多すぎる」
と言う事に気づく。
この「気づく」と言う感覚は
得るモノではなくて
何かを手放した事により
少しの空間に余裕が出来て
本来持っていたモノの存在が顔を出す感じ。
「思い出す」って感じかな。
そこに言葉はいらない。
「気づく」と言うのは
何か勉強したり
訓練したりした結果により
得られるモノと全く感覚が違う。
響きが違うって感じかな。
身体からの響きを感じる。
そこに、明確な「答え」は無い。
って言うかいらんよね。
でも人って
その「答え」欲しさに
頭で考え
言葉を絞り出してでも探そうとする。
でも、よく考えてみたら
それって
自分の都合の良い答えにしかならんやろ?
と思う。
物事を頭で考える時。
思考や感情に必ず振り回される。
その時
「こんな答えなら嬉しいな」と
思ってしまえば
それに似通った「答え」が出来てしまう。
当然
自分の求めているモノに限りなく近い答えなら
手を叩いて喜ぶやろな。
そして
それを「答え」として
持ち続ける事になるんやけど
これが、武道の世界では厄介やねんよね〜。
結局、型にハメられた動きしか出来ない。
「こうならないと行けない」
となってしまう。
だって
自分で考えた理想の「答え」なんやから
その通りにならないと嫌やもんね。
そしたら、上手く行かなかったら腹立つよな💦
相手のせいにするよな💦
和合もクソもないやんw
これは、日常生活も同じやと思う。
なんせ
これって結局、自分を苦しめてるだけなんよな。
自分の首を絞めている。
まさに、超不自然な状態。
それでは武道が楽しくないし
武道が可哀想やわ。
だから、自分を苦しめるのを辞めて
ただ受け入れ
流れて行くのを眺めればいい。
そしたら
素直に「今」を感じる事が出来る。
それが、所作になる。
だから流れを止めては行けない。
自分が、辛くなったり、苦しくなるだけ。
だから、自然に活きよう!
それでええんよ。
確かに相手が前にいると意識してしまうし
緊張もすると思う。
でも、一瞬で良いから
それすらも忘れてみてほしい。
自分の名前すら
わからないぐらい
言葉を忘れてみてほしい。
ずっとじゃなくていいんです。
一瞬でいいんです。
その時
もし「気づき」が顔を出したら
もう本来の自分を思い出せてるから。
それから創り出される所作は
とても、自然で美しい動きになる。
それが武道の本質なんだと思う。
でも、僕らは人間。
自然そのものになるのは難しい。
でも、それも自然なのかもな〜。
だから、本来の自分も大切やけど
人としての「痛み」も大切やと言う事。
人間らしく
悩んだり、苦しんだり。
泣いたり、笑ったり。
怒ったり、泣いたり。
人だから感じる事の出来る
「痛み」も大切にしよう。
そして、それすらも愛おしくなった時
無敵になれるよな!
どんな状態でも「幸せ」と
感じられる人になろう!
きっとなれる!
いや、もうなってるんや本当は。
後は、思い出すだけ!
武道は深いな。
つくづく思う。
って事で!
今日も、最高の1日にしよう‼︎
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